おしいれ

誰が要求したわけでもない義務感と少しの憂さ晴らしをこめて・・

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震災 原発 日本人 

3月11日に震災が起きて今が4月24日、一ヶ月半が経とうとしている。

震災から最近まで、テレビでも、身の回りでも、情報が本当にたくさん溢れ出た。
その多くは、恐怖心や先の見通せない不安から出たものであったように思える。
自分もまたそういった情報をまき散らしていたような気がする。
反省している。もう少し言わないで済んだはずだ。

そして今ようやく考えるということに意識が向き始めた。
以下に今後考え、そして答えを見つけるべき問題、大きな反省点を列挙する。

①原発の事故がなぜ起きたのかということ。
そもそもなぜ作ったのか、なぜ必要だったのか、これからも必要なのか(人の命や大切な土地を犠牲にしても)
これは絶対に決着をつけなくてはいけない問題。

②原発事故が含んでいた問題について
手の中にない科学とその大きな力をどのように扱うべきか。
予知できない地震。
東電はもしもの自体に対して責任をどう考えていたか。また東電だけでなく、私達がどのように捉えていたか。
比較としてヨーロッパ人、他のアジア人その他原発をもつ他の国の考え方。

③知恵の喪失について
歴史街道と呼ばれる旧道(明治以前)のラインが、ちょうど津波の届いたラインとほぼ重なりながらかつ、津波をぎりぎりで避けていたという事実。
明治以後私達はなにを失ったのか。知恵の再評価。

これらは正しく討議を重ねた後に結論をつけ、その結論は今後の日本の形成(一度私達は失敗をおかし、破壊された、そう認めるところから始めるべきである)に使うべきである。

これが大きなこと。

小さな情報(地震動)についても考えていきたい。
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テーマ:雑記 - ジャンル:ブログ

  1. 2011/04/23(土) 00:05:29|
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有頂天

台湾 ある画家の自画像


幸せがいきすぎて有頂天となる。
有頂天、頂点というからにはその横には下に向う坂しかない。
下に落ちる坂を見ないようにする為にはもっと高く登るか、
それともそこを頂点としてさきっぽでバランスをとるか。
「せめて笑ってもらえれば」「それをダンスといってのけよう」(詩人の覚和歌子の中途半端な引用より)

上の絵は台湾で知り合った画家の自画像だそうです。確かにこんな感じの人でした。
展覧会の日にビンロウを食べて口を真っ赤にし、酒に酔っぱらったこの人、
ダメダメな感じのこの人、とっても感覚的に敏感な人だったので、酒に酔って緊張やら複雑な気分をごまかそうとしたんだろうけど・・・。

でもそういうことしちゃダメだなーって自分のこととして今思う。
  1. 2008/12/05(金) 12:13:39|
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正直者

愚か者が家をたてー愚か者が家をたてー

正直者って書いたら高校のとき神父の先生が歌ってた変な歌を思い出した。


正直者とは私のことです。隠したいのか隠したくないのか、心に思っている事を何らかの形で表現せずにはおれないのが性分のようです。
きれいなきれいな赤くて小さな花のことが頭から離れずにいたので、そのことを私は周りの人間に「こんなにきれいな花が咲いていたのだ、赤くて小さくて、支持の為の細い竹を伝って太陽の方を向いて咲くその花がとてもきれいだったのだ」と主張せずにはおれませんでした。


半分は本当の気持ちで半分は代替行為だったんじゃないかと自分で思うのです。


花の名前は「もみじ葉ルコウソウ」という名でその赤は緋紅(ひこう)色というそうです。
  1. 2008/08/06(水) 00:32:33|
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ヤーチャイカ

ヤーチャイカ
わたしはカモメ

映画「ヤーチャイカ」、もう一人の監督(もう一人は谷川俊太郎)である覚さんの「ゼロになるからだ」をちょい前に買い、ときどき読み返しています。
うまい表現が見つかりませんが、読むたびにすっと少しだけ宙に浮くような感じがします。
今の私は、この感触に魅了されてしまい、それをもっと深く体験したいと思っています。なので大勢のそういった人たちと同じように孤独をつかんでいるべきなのに、孤独でいるという想像が時々はだいぶ怖いものです。
私はまだなにも捨てていないし、捨てようともしていない。しかし繋がることに対してなにか失ってしまいそうな恐れを感じています。中途半端な状態の私がまさに今の状態でどちらの人にも同じように会って、どちらの人にも会話ができるような気分でいます。
いつのまにかそういった私の性質は「誰とでもすぐに話せ、溶込んでいける」と言われるようになりましたが、私は実は自分がどちらにも溶込むことができないからどちらとも話せるのだと私自身の事を理解しています。
根無し草だと言われましたが、そういわれるのも無理はない。



黄色い花
  1. 2008/08/04(月) 00:35:27|
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時間

好きなひとやもの、ことにすべての時間を使っていたい
そうおもう。
  1. 2008/07/26(土) 17:06:26|
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